最近

怒涛の引っ越しを終えてから、マンスリーを借りようと思っていたら大学施設が閉鎖されることになり、一度実家に帰ろうと考え帰ってきました。
昔自分の部屋だったけど、ばあば実家に来る時に使う部屋になっているような場所で寝ています。
問題は、実家に来てから自分でもわかるくらいにメンタルが落ち込んでしまっていることです。
もともと、両親と一緒に生活していると意見を言えなかったり気を使い過ぎて不安になってしまうところがあり、それも理由で2年前に一人暮らしをはじめました。戻ってきてからは、忘れかけていたその精神不安が再開して、さらにコロナや自分のプロジェクトなどで不安が増えていることから、精神安定が崩れ始めています。
ここ最近全くしていなかったような深い溜息が自分でも気づくレベルでかなりの回数出ていますし、食欲が止まらない、やる気が出ないといった症状も出始めました。
なにより避けたかった聴覚過敏も再発しそうです。つらいです。

SIGCHI Extended Abstract形式の論文で1ページ目に図を挿入したい

最近のSIGCHI Extended Abstractはフォーマットが変化していて、参考になるかはわかりません。

 SIGCHI Extended Abstractフォーマットでは通常、論文1枚目(Title、Author、Abstractのページ)では画像を挿入(\marginfigure)はできないようです。

 

extended-abstract.texのなかで

\usepackage{marginnote}
\reversemarginpar

を宣言。

 

既存の\maketitleをコメントアウトし、同じ箇所に以下をコピペ

\maketitle\marginnote{
  \begin{minipage}[h]{\marginparwidth}
    \centering
    \includegraphics[width=\marginparwidth]{figures/foo.jpg} %画像は各自用意
    \captionof{figure}{bar}
    \label{fig:baz}
  \end{minipage}
}

 

f:id:k3174r0:20200314025238p:plain

 こんな感じでできます。

 (※あくまでデキるという話です。学会に投稿してこの画像挿入が原因でrejectされても責任は負いません。)

 

参考:

https://tex.stackexchange.com/questions/148459/adding-a-picture-before-abstract-in-extended-abstract-format

動物の森と人間の杜

もしかしてなんですけど。まあ、絶対違う。

あのゲームって、我々の生活をもとにした形態模写であり。強烈な皮肉的な要素を孕んでいるんではないか?

風刺的要素のコンテンツ化とゲーム化とそれを消費する我々の、その中にある意味フィードバックループ的関係を見るとそれがアートのような気がしてならない。動物のような人間を操る遊戯を、動物のような人間に与えた点で。

ただ、新しい視点として、ただ物語をなぞって終わるだけのゲームと違いアイテムを集め自分の欲求に従う点については、データベース消費やオタク文化が培ってきた人間的嗜好の一つをうまくついていると考えられる。

長いこと考えたけど言語化できなかったのでここまでにさせて戴きます。

この二つの視点から、またあのゲーム始めてみようか。

TAをした


ジャルジャルの傑作コント「野球部」

この動画見て、この感じだわという感覚だった。
大学院で技術系授業のTAをして、同じような感じになりました。

いや、まあコントの世界とは違うからあれだけど。まずgoogleで調べるとかそういうのを知らないのかな?
崇高な思考から時短レシピまでネットで見つかる時代に、わからないまま授業が進んでtaに何がわからないかすら説明できないのはおかしくない?
で、それでも自信満々でいられるのはなんなの?

「エモい」とは?

ツイッターをフォローさせていただいて、すごい研究と成果と実績の人なのでリスペクトはしてはいるのに、ここ数か月くらいことあるごとにあの言葉を使っててなんだかわからない感じ。なーんかよくわからないし。自分の知っている意味と違う気がする。

zasshi.news.yahoo.co.jp

この記事で少しだけ某製「エモい」について言及しているらしいので読んでみたけどふんわりでわからない。「いとをかし」という意味ならそうは言わないのかな?

ツイッターで使われている文脈から意味を推測してみようもののあらゆるものに「エモい」使っていてもうわっけわからんの。

 

自分が知っている(思っている)「エモい」の意味について。

「エモい」はそのままエモーション/エモーショナルの略ではなくて。確かに感情的な、感情が動かされるような、という意味はそのままで。そこに加えて哀愁や郷愁などノスタルジックな(懐かしさのような)気持ちとか、無力感や無常とかニヒリズムなどちょっと悲しいような形容しがたい感情のことを言っていると考えてる。

だから、なんかヘラヘラしながらウェイウェイしながら「うわ!エモい!エモい!」とか使うのは違和感がある。

ここでいう本来(?)の意味は語源をたどると音楽業界からきていると考えられる。(自分で調べた限りで個人の見解)

エモ - Wikipedia

エモコア(エモコアバンド)というワードがあって、パンクロックミュージックの中の一つの分野で、ここから「エモ」のエッセンスが対象物の形容に使われ始めたのが「エモい」の源だと思われる。1980-1990年のUKミュージックシーンの影響やそこから生まれた価値観が関係しているのかもしれない。

ヴェイパーウェイヴ - Wikipedia

ここから2000年代になってくるとDTMやクラブミュージックが出てくると。その中で前衛的なジャンルの中で昔の曲のサンプルを多用するような曲を聴くと、その音源を知ってたりすると懐かしく感じたり、音源を惜しげもなくチョップしたりするもんで『意味を持った単語』が『無意味な音節』になる感じなどから無力感や悲しさも湧き上がっていたりすることも。これくらいから音楽ジャンルに対しての表現とかで「エモい」が使われるようになってきたかもしれない。自分の中では「エモい」≒「VaperWaveぽい」でもいいかもしれない。

 

1年以上前に書いた下書きを見つけたのでそのままポスト

自身自信

自分の周りには、いろんな人がいる。特に、多様なバックグラウンドや思考を持つ人々に囲まれた、特殊で恵まれた環境に身を置いて実感する。

その中で、よく話題に上がる人がいる。よく話題に上がると言うのは、その本人がいないところでもかなりの頻度で会話中に名前が上がる。しかもその人の特徴や最新の動向について既に知っていたとしても。

簡潔にまとめると、自分の周りにいる人の中でその人がいない場所でめっちゃイジられている人がいる。自分はそれをよく聞いているし、その会話に参加している。繰り返し。

イジられていると言うのは、その人の一見して恥ずかしいような素直すぎるような言動や行動とそれを知った人による評判が話題の中心になるということだ。ダサい、ウケるというような感情が自分の中にあるのをわかっているつもりでもある。

その人はイタい。

しかし、"その人"は果たしてどのようにして、イタいのか。

話題や会話の流れによるが、自分の名前が自分のいないところでも上がり話題の中心になることは、多くの人が一度は求める情景かもしれない。なぜなら自分も多聞に漏れず、アイドルや著名人、実力者のような人間に憧れや目標としての姿を見るからだ。そしてそれらには、本人のいないところでも話題にされ評判が多くの人に伝わるという側面を持っている。それは話題の人としての存在が認識を共通し、かつ価値を生み出すというのを頭のどこかで誰もが思っているかもしれないと私は考える。

ということは知らないところで話題になること自体はイタくない。

そこで、一度話題にされる内容について考えてみる。イタいというその言葉や感情の、そのこころは、自分やその人と社会との認識のズレに対する卑下であると考えた。その理由は、自身に満ちた人はそれだけの成果があるのが当たり前だが、そんな成果も無いのに自身に満ちているのはおかしい、という認識を我々は持っているからである。

自信に満ち満ちた表情と言動や行動から、それを誘因として引き起こされた物事は、誘因に値する社会的インパクトを持つ成果だと誰もが信じている。一方で、これは因果関係ではなく相関関係だ。社会的インパクトを持つ成果を出した人間の多くは否応なく自身に満ちたように振る舞うのだということも感じているからである。しかし、自信に満ちたその人とその人の成果を比較した時に、信じていた因果関係を覆されると同時に自己認識の矛盾にも似た感情から回避する術として卑下する行動を取るのではないか。実際にそういった状況は経験したことがない人のほうが少ないだろう。

つまり、その人は自信に満ちた言動や行動をするが、その人が持つ社会的インパクトや成果が対応していない状況を、イタいと表現しているのだ。イタいことを表現するとウケる。さらに言えばそれらのイタい状況は自分の中にある自信と成果についての因果と相関の認識違いによって主観的に下される評価でしかないのかもしれない。

 

ツイッター的に書くんですけど。

今日、手が痒すぎて学校のそばの皮膚科行って。行ったこともなくて初診だったんですけど、扉開けたらカーペット?的な床で、でも廊下側に屋外にも屋内にも置けるような泥除けあって、土禁と思ってサンダル脱いで入って保健証渡して問診書いて出してから、あの下駄箱無いですか外雨でサンダルそこに置きっぱです。って言ったらは?じゃああなたいま何を履いてるんですか?って言われていや靴下ですけどって言ったらあ、そのままお上がりになって大丈夫ですよ…て言われて履きに戻ったら受付からクスクス聴こえて涙目受信しましたわ。そして診察はこことこことここ痒いんです〜皮もむけてるしかいちゃうし痒くて眠れないくらいひどいし、っていったら、はい飲み薬と塗り薬処方します〜て秒で終わって。なんか悲しかった。

あと、なんか、保険証?見て?受付の人にあなた長男ですか?て聞かれたんだけど。病院でそんなこと聞かれたことなくて。あああってなってしまって。双子なんです…て言ったら双子の中でどっち扱いですか?て聞かれて長男だと思いますって言いました。いや、すこし怖かった。

無意識なところで、天然とも煽りとも違う、意味不明な感じで人を怒らせてるんでは無いかと不安になる。

地元の友人にそんな風に言われたり、親とご飯食べて会話中にいきなりブチギレられて怒られてる最中になぜ怒られてるのか最後までわからなかったこととか、グループワークのミーティング中に出て怒って?出て行った人がいてトイレに行ったのかと思ったら周りから教えられて知ったり。そういうことがけっこうあるなあと思ったりする。状況とか相手の気持ちを考えてなさすぎるのかもしれないけど。

人生わからないことばかりです。勉強します。